人間(にんげん)は
人間(にんげん)は、必(かなら)ず歳(とし)をとります。そして、死(し)にます。これは昔(むかし)から変(か)わらないことです。また変(か)わってはいけないことでしょうね。でも、権力(けんりょく)などを握(にぎ)ると、不老不死(ふろうふし)の薬(くすり)を捜(さが)すとか馬鹿(ばか)なことを始(はじ)めます。普通(ふつう)の市民(しみん)は、そんな余裕(よゆう)ないので一生懸命(いっしょうけんめい)、老(ふ)けていきます。人間(にんげん)は、何(なに)のために生(い)きるのか?なんて聞(き)かれますが、わかりませんね。でも、きっと、「いい死(し)に方(かた)するために生(い)きる」のかなぁなんて思(おも)います。そのために、元気(げんき)で楽(たの)しく、そしてちょっぴり長生(ながい)きしたいですね。每一個人都會老,而且會死。這是自古不變的真理,而且也不能變。不過,一旦擁有了權力,就開始做一些像尋找長生不老的藥這類愚蠢的事。
普通市民由於沒有這閒功夫,所以只有任其衰老。常聽到人們問,我們為什麼而活?我不太明白。不過,我想人是"為了更好地死而活"。
為此,我希望健康樂觀、長生不老。
いくら元日でも、明るく楽しいことばかり考えているわけには行かない。――去年は地球上で実にたくさんの人が生まれ、たくさんの人が死んだと思う。生まれた方は同じだが、、死に方はみな異なっている。今年もたくさんの人が生まれ、たくさんの人が死ぬだろう。そんな思いが、偽らぬ年頭所感としてやって来る。こうしたことは、しかし、どうすることも出来ない。厳然とした事実である。
雖說是元旦,也不能光想一些舒愉快心的事。 --去年在這個地球上是實實在在地有很多人出生,又有很多人死去的。
出生的方式大體相同,而死去的行狀卻是千差萬別的。今年也會有許多人出生,許多人死去吧。
毫無疑問,這就是湧上我心頭的新年感想。這種事情是無法改變的。是嚴酷的事實。
こうした人間交替の思いも、新年だけの特別な物である。平生はこんなわかりきった事実に感慨を託すことはない。私はここ何年か、いつも元日の朝、こんなことを考えている。大勢生まれ、大勢死んでいく。次々に人間は交替し、人間によって作られた時代も交替していくのである。こうした思いがやって来ると、いつも天山の山襞の中の小さい湖、イシククルこの畔に眠っている十九世紀の探険家のことが思い出されて来る。この世の中に、いやに安定した生と死を持った人間も居たものだと思う。その探険家というのは、ロシアの西域探険家プルジェワリスキーである。十九世紀中頃、モンゴル、ロブノ-ル、チベット、ゴビ、青海と、何回もイシククル湖畔の道を通って、天山を超えている。そして彼は湖畔に於いて歿するが、その遺言によって湖岸に葬られている。
這種人類更替的感慨是新年所特有的。平日里,是不會對這樣明白無誤的事實感慨萬千的。我在最近這幾年,
每逢元旦的早晨,就會想起這樣的事情。有許多人出生,又有許多人死去。人類不斷地生死更替著,
而由人類所創造的時代也在不停地更替向前。這樣的念頭一出現,我總是要想起一位長眠在天山山坳中的一個小湖--
伊西可可兒湖湖畔的,十九世紀的探險家。世上還真有生與死都非常安定的人。
那位探險家就是俄羅斯的西域探險家普魯捷瓦里斯基。在十九世紀中葉,他穿越了蒙古、羅布麻、西藏、戈壁、青海等地,
曾多次經伊西可可兒湖湖畔的小道而翻越天山。最後他死在該湖畔,遵照其遺囑人們將他葬在了湖岸上。
このプルジェワリスキーの場合は生と死とがばらばらにならず、美しいピンで留められている感じである。こうした生と死の結びつき方のできるのは、十九世紀で終わってしまったのかもしれない。現代はみな不本意に生き、不本意に死んでいっているように思われる。
普魯捷瓦里斯基的生與死完美統一,就像是用一根美麗的別針串在一起似的。這種生與死相協的方式,
或許到了十九世紀就結束了。而如今,大家都是不得已而生,不得已而死。
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